kunimi_church’s diary

仙台国見教会 ぼくしのブログです

2月26日礼拝説教

「みことばを信じる信仰」
聖書箇所: ヨハネによる福音書 4章46−54節

今日の聖書の箇所から、イエス様はどのようなお方か、イエス様を信じるとはどういうことか、考えてみましょう。

1.主イエスの「みことば」
場所はカナです。カナの婚礼でイエス様は最初の奇跡をなさいました。水をぶどう酒に変えられた場所です。ヘロデ王家の役人が、カペナウムというガリラヤ湖畔の町から急いでやってきました。およそ20kmあまりの距離です。そしてイエス様に子供が病気で、今にも死にそうなので、一緒にカペナウムにきていただけませんかと願います。しかしイエス様のお言葉は、はねつけるようなそんなお言葉でした。「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」(48節)。これは、役人をはじめ、当時の人々が陥りやすい誤りを強く指摘なさったことばです。
エス様は、しるしや奇跡ではなく、イエス様がお語りになるみことばを信じ、約束を信じ、イエス様ご自身を信じるように求めておられます。

2.いのちの与え主
ヨハネ伝のテーマは、いのちの与え主イエス・キリストということです。役人はイエス様は不思議な力をもっておられると信じていましたが、それはかなり限定つきでした。「近くに来られたから、あそこからなら家にきていただけるから」「死なない内なら何とかしてもらえるから」。実はイエス様はもっと大きなお方です。ヨハネ11:25,26には、イエス様が死人すらよみがえらせることのできるお方として書かれてあります。「たとい死んでも生きる」。イエス様はどのようなときにも命を与えることのできるお方です。どのようなときも、あなたは生きる。私が生かす。とイエス様はおっしゃいます。

3.信じているものがさらに信じる
もどかしいような道すがら、彼の頭にあったのはイエス様の約束のお言葉だったはずです。繰り返し思い返しては、信頼して祈る思いで家路を急いだのでしょう。そして途中、向こうからくるしもべとあって、イエス様のお言葉の真実を知ったのでした。何と感謝なことでしょう。イエス様を信頼して、本当にそのとおりであったと知るには時間が必要かも知れません。けれども決して裏切られることはありません。この役人はもちろんイエス様を信じていました。けれども本当にそうであったと、家族と一緒になお信じたのです。

エス様のすばらしさにきっと私たちは繰り返し驚くのです。ああ、まだ私はイエス様のすばらしさをいくらも知らなかった。みことばの確かさをしらなかった。
みことばを信じましょう。そして、より深くイエス様を信じましょう。